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大津地方裁判所 昭和58年(ワ)76号 判決 1985年8月26日

原告

篠田健一

右訴訟代理人

植山昇

武川襄

吉原稔

木村靖

野村裕

小川恭子

被告

右代表者法務大臣

嶋崎均

右指定代理人

矢野敬一

外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金九〇万八、四一〇円及び内金九〇万円については昭和五六年一一月一〇日から、内金八、四一〇円については昭和五七年四月一五日から、それぞれ支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、昭和五二年四月から、大津において弁護士業を営む者であり、訴外小北陽三(以下「訴外小北」という。)は、昭和五五年四月から、昭和五九年三月まで、大津地方裁判所民事部において裁判官の職にあつた者である。

2  大津地方裁判所昭和五六年(手ワ)第六九号約束手形金請求事件(以下「別件手形訴訟事件」という。)の経過

(一) 原告は、訴外小北裁判官係に係属していた別件手形訴訟事件の被告宮出清次郎(以下「別件被告」という。)から右事件を受任した。

(二) 右別件手形訴訟事件は、同事件原告株式会社江商(以下「別件原告」という。)所持の額面二〇〇万円の約束手形一通について、別件被告がその第一裏書人であるとして、裏書人の責任を追及するものであつたが、原告は、別件被告からの聴取にもとづき、請求の趣旨に対する答弁として請求棄却の判決を求める旨、請求原因に対する答弁として別件被告の裏書行為を否認し、当該裏書欄は何者かによつて偽造された旨をそれぞれ記載した答弁書を作成し、訴訟委任状とともに、第一回口頭弁論期日前に裁判所に提出した。

(三) 昭和五六年一〇月二七日の別件手形訴訟事件第一回口頭弁論期日には、別件原告代理人弁護士中山福二と原告が出頭し、それぞれ訴状及び答弁書を陳述した後、別件原告代理人から提出された甲第一号証(約束手形一通以下「別件手形」という。)について、原告は別件被告作成名義の裏書部分(以下「別件係争裏書部分」という。)の成立を否認し、その余の作成部分の成立については不知と答弁した。

(四) そこで、別件原告代理人は、通常訴訟への移行を求める旨の申述を口頭でなし、別件手形の成立を立証するため、別件原告代表者本人尋問の申請を書面でしたところ、訴外小北は、これらを無視して直ちに弁論を終結し、手形判決言渡期日として、昭和五六年一一日一〇日を指定した。

(五) 原告は、訴外小北のとつた右手続に疑問があつたので、昭和五六年一〇月末ころ、訴外小北に面談したが、その際、訴外小北が、別件原告勝訴の手形判決をする意向であることを察知したため、同年一一月四日、弁論再開の申立及び、別件係争裏書部分の署名押印が別件被告のものでないことを立証するため、別件被告本人尋問の申請をした。

(六) しかし、訴外小北は、原告の右申立を容れることなく、前記指定言渡期日に、弁論の全趣旨により、別件係争裏書部分の成立を認め、これにより請求原因事実全部を認めるとの理由で、別件原告勝訴の手形判決を言渡した。

3  違法原因

(一) 弁論終結の違法

別件手形訴訟事件の手形判決によると、訴外小北は、弁論の全趣旨により、別件係争裏書部分の成立を認めたことになつている。

しかしながら、別件手形訴訟事件第一回口頭弁論期日においては、前記2(三)、(四)各記載の手続がなされただけであつて、別件係争裏書部分の成立を認めるに足る弁論の全趣旨は存在しない。かえつて、原告作成の答弁書中で、右裏書部分の成立を積極否認していること、別件被告の名前の字が異なつていること、名下の印影がいわゆる三文判であることなど、右裏書部分の成立を疑わしめる事情が存在する。

また、訴外小北は、従前、京都地方裁判所在任当時から、手形訴訟の被告が手形上の署名押印部分の成立を否認しても、その立証をまたずに手形訴訟の弁論を終結し、他の要件があれば認容判決をなし、異議申立をまつて、署名押印の真否を判断する方針であり、かつ、そのようにしてきた旨、原告に言明していた。

したがつて、訴外小北は、別件係争裏書部分について、真正に成立したとの心証を抱いていないにもかかわらず、直ちに弁論を終結し、弁論の全趣旨という形で、判決の形式のみ整えて手形判決をなしたものである。

また、仮に、訴外小北が審理の最初の段階で、別件係争裏書部分の成立について心証を得ていたとしても、その後の手続の進行によつて結論が異なつてくることは、当然ありうることであり、そこでは、審理を尽したかどうかによつて、弁論終結の可否が決定される。別件手形訴訟にあつては、別件原告に別件係争裏書部分の真否についての立証の機会を与えるなど、法律で認められた手続による審理を尽していない以上、弁論を終結すべきではないというべきである。

右のように、訴外小北のとつた弁論終結行為は、明らかに立証責任に関する通常の考え方に違背してなされており余りにも不合理であつて、法の解釈を誤つた。あるいは、法を歪曲したものであり、かつ、尽すべき審理を尽さずしてなされたもので、裁判官として、訴訟手続及び判決言渡という公権力の行使にあたり、故意または過失により、違法な判決をなしたものである。

(二) 通常訴訟手続への移行の申述を無視した違法

訴外小北は、別件原告代理人の通常訴訟手続への移行の申述を無視して弁論を終結し、手形判決を言渡した。これは、明らかに民事訴訟法四四七条の解釈適用を誤つたものである。

(三) 口頭弁論を再開しなかつた違法

右(一)(二)のとおり、別件手形訴訟事件の手続には、明らかな違法があり、その違法は、裁判官としてあるまじきことであるばかりでなく、必要的に仮執行宣言の付される手形訴訟にあつては、敗訴当事者の権利に重大な影響を与えるものであるところから、原告は、訴外小北に対し、前記2(五)のとおり、訴外小北に面談して手続の疑問を質し、弁論再開の申立をなし、その後も、弁論再開の必要性を訴えた。

右は、弁論を再開して当事者にさらに攻撃防御の方法を提出する機会を与えることが、明らかに民事訴訟における手続的正義の要求するところであると認められるような特段の事情に該当するというべきであつて、このような場合に、弁論を再開せず判決をすることは、手続的正義に反し違法である。

4  損害

(一) 違法な判決による直接の損害 金一〇万円

別件手形訴訟事件において、本来ありうべき手続の流れは、第一回口頭弁論期日において、訴状、答弁書各陳述、甲第一号証の提出、別件被告作成名義の裏書部分の成立の否認のあと、別件原告が、別件係争裏書部分の成立の真正を立証するため、別件原告代表者本人尋問を申請するか、あるいは、通常手続への移行を求めたうえ、他の立証方法を準備して証拠調べをなし、別件被告に反論、反証の機会を与えたうえで弁論を終結するというものであり、訴外小北としても、このありうべき手続の流れを無視して手続を進めることは許されないというべきである。

したがつて、別件被告の訴訟代理人であつた原告としても、その流れに応じて行動すればよいはずであつたにもかかわらず、前記の訴外小北の違法な手続により、別件被告のために、弁論再開の申立、手形判決に対する異議申立、強制執行停止申立の諸手続をせざるを得なくなつた。

右は、訴外小北の不法行為による直接の損害であつて、金銭に見積つて金一〇万円を下ることはない。よつて、右趣旨の損害賠償金として金一〇万円を請求する。

(二) 慰謝料 金八〇万円

原告は、別件被告に対し、別件手形訴訟の受任にあたつて、別件被告の求めに応じて、訴訟の進行について、以下のとおり説明した。

「第一回口頭弁論期日には、訴状陳述のあと、答弁書を陳述し、別件係争裏書部分の裏書行為を否認し、その署名押印は偽造であると主張するので、別件原告は、別件被告の裏書行為を立証しなければならず、別件原告代表者等の人証申請がなされるであろうし、これが採用されれば後日その尋問があり、その後、別件被告本人が法廷で事情を述べることになる。従つて、一度は、裁判官に直接事情を聞いてもらう機会がある。その結果、裁判官が別件係争裏書部分の成立を認めれば、別件被告はその金額を支払わねばならないし、これが否定されれば、支払わなくてもよい。」

そして、原告は、別件被告に対して、第一回口頭弁論期日で弁論が終結され、別件被告の言い分を法廷で聞いてもらうことなしに、また、別件係争裏書部分の成立の立証なしに手形判決で別件被告が敗訴することなど一切説明しなかつた。

右の事情があるため、前記の訴外小北の手形判決により、原告は、弁護士としての威信、信用を著しく害され、精神的苦痛を蒙つた。

これに対する慰謝料は、少くとも金八〇万円を下るものではない。よつて、慰謝料として金八〇万円を請求する。

(三) 手形判決の強制執行停止決定にかかる保証金の立替払による損害 金八、四一〇円

前記のように、別件手形訴訟の経過が余りにも原告の予測に反する結果になつたため、原告は、手形判決に対して異議申立をすると共に、強制執行停止決定を得、その保証金五〇万円を別件被告に代わって立替払し、昭和五六年一一月一三日大津地方法務局に供託した。

手形判決異議訴訟は、昭和五七年四月一四日に別件被告勝訴で確定したので、原告は、右の一五二日間について、右五〇万円に対する民法所定の年五分の割合による損害金一万〇、四一〇円から、供託官から利息として支払を受けた金二、〇〇〇円を控除した差額金八、四一〇円相当の損害を蒙つた。よつて、右損害金の支払を求める。

5  以上により、原告は、被告に対し、不法行為にもとづき、損害賠償金九〇万八、四一〇円及び内金九〇万円については、不法行為の日である昭和五六年一一月一〇日(手形判決言渡期日)から、内金八、四一〇円については、損害発生の日の翌日である昭和五七年四月一五日から、それぞれ支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  請求原因2(一)の事実のうち、別件手形訴訟事件が係属していたことは認めるが、その余の事実は不知。

(二)  同2(二)の事実のうち、別件手形訴訟の内容が原告主張のものであつたこと、及び原告主張の答弁書及び委任状が裁判所に提出されたことは認めるが、その余の事実は不知。

(三)  同2(三)の事実は認める。

(四)  同2(四)の事実のうち、別件原告代理人が事実上原告代表者尋問申出書を提出したこと、及び、訴外小北が直ちに弁論を終結して手形判決言渡期日を指定したことは認めるが、別件原告代理人が通常訴訟への移行を求める旨の申述をしたことは否認する。別件手形訴訟事件第一回口頭弁論調書には、その旨の記載がない。

(五)  同2(五)の事実のうち、原告が訴外小北と面談したこと、並びに、原告が弁論再開申立書及び別件被告本人尋問申立書を提出したことは認めるが、その余の事実は不知。

(六)  同2(六)の事実は認める。

3(一)  請求原因3(一)の事実のうち、別件手形判決の理由説示が原告主張のとおりであること、及び、別件手形訴訟事件第一回口頭弁論期日の手続が原告主張のとおりであることは認めるが、別件係争裏書部分の成立を認めるに足る弁論の全趣旨が存在しないとの主張は争う。

原告主張の訴外小北の手形訴訟に関する見解は争う。同人の見解は、「手形訴訟において、被告が手形行為を否認し、手形上の署名押印を否認した場合であつても、弁論の全趣旨により手形の成立が真正であるとの心証を得た場合には、手形以外の証拠調をせずに弁論を終結し、他の要件が揃つていれば、認容の手形判決をする。」というものである。

また、訴外小北は、弁論の全趣旨により、別件係争裏書部分の成立を認めたものであつて、立証責任に関する法解釈を何ら誤つていない。

さらに、訴外小北が、その職務の執行にあたつて、故意または過失があつたとの主張も争う。別件手形判決が異議訴訟で取消されたからといつて、訴外小北に故意または過失があるとはいえない。

(二)  ところで、弁論の全趣旨とは、弁論にあらわれた資料、状況のうち、証拠調の結果以外の一切のものをいうと解されるところ、そこには、弁論の内容、当事者及び代理人の陳述の態度、攻撃防禦方法の提出の時期等、極めて多様な事実が含まれるのであり、別件手形訴訟においても、訴外小北が斟酌することのできた弁論の全趣旨は存在した。

裁判官は、弁論の全趣旨に含まれる事実の総合的な判断の上に立つて、自由心証の原則に基づき事実を認定するのであつて、弁論の全趣旨の内容を具体的かつ客観的に提示することは困難であるため、判決の理由説示にあたつても、それを具体的詳細に記載することは求められていない。よつて、別件手形訴訟においても、記録上弁論の全趣旨に該当する事実の存在が認められれば足り、それ以上具体的に弁論の全趣旨の内容を特定し、明示する必要はない。

(三)  請求原因3(二)及び(三)の主張は争う。

4(一)  請求原因4の各主張はすべて争う。

(二)  同4(一)の主張については、別件手形訴訟において、原告主張の手続のみが適法な手続であるということはできず、訴外小北のとつた訴訟手続も適法である。

原告は、別件被告代理人として、原告主張の手続以外の手続で審理が行われた場合であつても、審理の状況、結果に応じて適切な訴訟活動を行うべきは当然であり、原告のとつた異議申立等の諸手続は、まさに、そのような措置であつたことが明らかであるから、これらをもつて損害が発生したという原告の主張は失当である。

(三)  請求原因4(二)の事実のうち、原告が別件被告に対して訴訟の進行について説明した事実は不知。

訴訟の経過ないし結果が、原告の予想し、当事者に説明したところとくい違つたからといつて、原告の弁護士としての威信、信用が害され、精神的苦痛を蒙つたとする原告の主張は、主張自体失当である。

また、弁護士としては、特に手形訴訟においては、裁判官が証拠調の結果の他、弁論の全趣旨を斟酌して審理判断をなすことを考慮して弁論に臨むのが通常であり、そうであれば、原告としても、別件手形訴訟において、別件係争裏書部分の成立が認められる可能性も予測できたはずである。

訴訟代理人である弁護士が、依頼者からの訴訟結果や見通しについての確定的判断の求めに応じなければならないかどうかは被告の知るところではないが、訴訟における証拠の評価、事実認定等は、裁判官の自由な心証に委ねられているのであるから、そもそも訴訟結果や見通しについて断定的判断を下すこと自体、不可能ないし極めて困難であり、あえて断定的判断を下す以上、それによる結果がいかようなものであれ、自らにおいて甘受すべきである。

(四)  請求原因4(三)の事実のうち、強制執行停止の保証金五〇万円が、原告主張の日に供託されたこと、異議訴訟で別件被告が勝訴し、その判決が原告主張の日に確定したことの各事実は認めるが、その余の事実は不知。

三  被告の主張

1  争訟の裁判と国家賠償責任

(一) 裁判官がした争訟の裁判について、国の損害賠償責任が肯定されるためには、裁判における事実認定及び法令の解釈適用の正当性についての相対的性格、その純粋惟作用性に由来する制約などからして、他の公権力の行使の場合と異なり、その裁判に、上訴等の訴訟上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在するだけでは足りず、裁判官が、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認められるような特別の事情があることを要件とすべきであり、右特別の事情とは、裁判官が、その私心から一方当事者を敗訴させ、あるいは、その裁判によつて当事者の名誉を害せんとする場合のように、裁判官が害意をもつて裁判をした場合などを指すものというべきである。

(二) 本件にあつては、訴外小北は、何ら違法不当とされるような目的を有しておらず、裁判官に付与された権限を正当に行使し、法令を適法に適用したものである。原告主張の違法原因は、単なる法令適用の誤り、あるいは、事実認定の誤りをいうものにすぎず、いずれも前記「特別の事情」に該らない。

また、この特別の事情を要件とすることは、損害賠償を求める主体が争訟の裁判の当事者本人か代理人かによつて区別されるものではない。

2  予見可能性及び因果関係について

(一) 手形訴訟においては、簡易迅速な訴訟追行が要求されていることから、弁論の全趣旨を加味して事実認定がなされることが多く、訴訟代理人としては、それをも考慮して口頭弁論期日に臨むべきである。それにもかかわらず、原告は、原告主張のような説明を行い、その結果、弁護士としての威信、信用が害されたというのであるから、原告主張の損害は、いわゆる「特別損害」である。

(二) 訴外小北としては、原告がいかなる説明をその依頼者に対してなしているかを知る由もないから、原告主張の右損害に対する予見可能性はない。

(三) 強制執行停止の保証金を訴訟代理人たる弁護士が立替払することが、弁護士業務に伴い通例として行われているとは到底いえないから、原告主張の違法原因と、右損害との間の因果関係はなく、また、同様に、訴外小北において、右損害に対する予見可能性はない。

(四) 別件手形訴訟において、別件被告勝訴の手形判決がなされれば、仮に訴外小北のとつた訴訟手続に原告主張の違法があつたとしても、原告に損害は生じないから、訴外小北の訴訟行為と原告主張の損害の間に因果関係はない。

3  反射的利益論

(一) ある法規に違反してなされた行為が、具体的にある者に対する関係で、違法な加害行為となるか否かは、その者が当該法規によつて保護される利益を有するか否かによるというべきである。

(二) これを本件についてみるに、

(1) 請求原因3(二)の点については、通常手続への移行の手続を定めた民事訴訟法四四七条の規定は、手形訴訟原告の利益を保護したものであり、右規定が遵守されることにより、手形訴訟被告が何らかの利益を受けるとしても、それは事実上の利益にすぎないというべきである。

(2) 請求原因3(一)及び(三)の点については、立証責任に関する法規範、あるいは、弁論再開に関する法規範は、いずれも裁判を適正に行うための法規範ないし法則であり、当事者の訴訟物に関する利益の保護を目的とする法規範である。したがつて、原告が主張する訴訟代理人の地位にもとづく利益は、右法規範、法則の保護法益に該らない。

すなわち、別件手形訴訟における原告のように、法令の規定にもとづかない訴訟代理人は、依頼者の訴訟委任にもとづき、依頼者のために訴訟活動を行うものであつて、訴訟代理人の行為の結果は、すべて依頼者本人に帰属し、訴訟代理人に帰属することはない。それゆえに、右法規範の遵守により、訴訟代理人が利益を受けるとすれば、それは、依頼者たる当事者の利益が保護された結果、その訴訟代理人が、依頼者に対して適正妥当な代理行為を行うべき責任を負つていた関係上、まさに、反射的に利益を受けた、というにすぎないものである。

原告は、訴訟代理人と裁判官の間において、当事者本人の権利と切り離された、「手続を適正に行うべきことを請求し、請求される権利義務がある。」旨主張するが、前記のように、訴訟代理人は、当事者本人を代理して訴訴手続を行うものであり、また、訴訟手続に関する法規範は、当事者本人の訴訟物に関する利益を保護するものであるから、訴訟代理人が裁判官に対して手続を適正に行うことを請求しうるのも、当事者本人の権利に由来し、これによつて初めて根拠づけられるものである。

よつて、仮に、原告主張のように、弁護士である訴訟代理人が、当事者とは別個独立した地位にもとづいて訴訟を遂行し、依頼者に対して適正妥当な訴訟行為を行うべき責任を負つているとしても、そのことにより、前記の各法規範が、訴訟代理人の訴訟活動をも直接その保護法益としているとする理由にはならない。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  口頭弁論調書の証明力(請求原因に対する認否2(四))

(一) 通常手続への移行の申述は、弁論の方式に関する事項ではなく、口頭弁論調書の証明力の範囲外である。

(二) 仮に、これが弁論の方式に関する事項であるとしても、口頭弁論調書の絶対的証明力は、その調書が作成された訴訟手続限りにおいて、当該手続の方式の遵守を問題とする場合に適用があり、別個の手続において、その調書の作成された訴訟手続における弁論の方式の遵守を問題にする場合には適用がないと解すべきである。

2  争訟の裁判と国家賠償責任

(一) 被告主張のような「特別の事情」を裁判官の職務行為についての違法性の要件とすることは不要であり、単に、三審制度による制約を違法性の一要件として考察すれば十分である。

(二) たとえ、これを要件とするにしても、被告主張のように、当事者に対する害意にまで限定するのは極めて不合理であり、「裁判官の事実認定ないし法令の解釈適用が著しく合理的根拠を欠く場合」で足りると解すべきである。

(三) 原告は、違法な手形判決によつて蒙つた、訴訟代理人固有の損害にして、手形判決が取消されたことによつては回復されないものの賠償を請求しているのであるが、被告の主張に沿う最高裁判所昭和五七年三月一二日第二小法廷判決(民集三六巻三号三二九頁)その他の判決例は、いずれも確定した民事裁判の内容自体の違法性が問題になつたものであつて、本件とは事案を異にする。訴訟代理人は、自己に固有の損害の回復を求めるためには上訴の制度を利用できないのであるから、仮に、被告主張のように、「特別の事情」の要件を要するとしても、その要件は、確定判決の違法性の要件に比して、より緩和されたものでなければならない。

(四) 訴外小北は、手形訴訟の被告が、手形の署名押印を争う場合には、ほとんど常に、その主張が虚偽であるとの予断偏見を抱いていたものであり、自らの心証により事実認定を行い、証拠にもとづいて裁判をしなければならない裁判官としての権限及び義務に故意に反して、別件係争裏書部分の成立を何らの証拠なしに認定し、「弁論の全趣旨」という形成によつて判決の形式のみを整えて手形判決をなした。

右は、裁判官としての義務に著しく反したものであり、前記「特別の事情」に該るというべきである。

3  予見可能性及び因果関係について

(一) 原告主張の損害は、いずれも、いわゆる「通常損害」である。

(二) 仮に、特別損害であるとしても、後述のような訴訟代理人としての弁護士の地位からして、弁護士が事件の進行等について依頼者に説明すべき義務を負つていることは、訴外小北においても当然承知していることであつて、予見の範囲内であり、また、具体的な訴訟の場で、訴訟代理人の活動が違法に侵害された場合には、弁護士の信頼に影響し、同時に、依頼者に対する説明について弁護士が責任をとらざるを得なくなること、すなわち、本件にあつては強制執行停止の保証金を立替払することも、予見可能性のあるところである。

(三) 被告の主張2(四)について、本件では、別件手形訴訟で別件被告が現実に敗訴し、これによつて実際に発生した損害の賠償を求めているのであるから、被告の主張は失当である。

4  反射的利益論について

(一) 被告の主張は、当事者と訴訟代理人たる弁護士との法律関係に対する誤つた理由にもとづくものである。

(二) そもそも、民事訴訟事件の当事者は、訴訟代理人たる弁護士の訴訟活動を通じて裁判や弁護士に対する信頼を得ていくものであり、訴訟代理人の妥当かつ適正な訴訟活動への期待は、裁判所の適正な手続への期待ともなる。裁判所及び双方当事者の訴訟代理人は、この適正な手続進行への期待に応えるべく、三者間で、信義則上ないしは黙示の合意によるルールを形成している。その意味で、訴訟手続に関する法規範は、一面で当事者の訴訟物に関する利益を保護する規定であるが、他面、訴訟関係者たる双方代理人と裁判官の間の訴訟手続上のルールの規定でもある。このルールに則つて、裁判官と双方当事者の訴訟代理人たる弁護士とは、互いに協力信頼関係を形成しつつ訴訟関係を展開していくものであり、それと共に、右三者間において、相互に、手続を適正に行うことを請求し、あるいは、請求される権利義務があるというべきであつて、この関係は、法律の素人である当事者と裁判官の間ではみられない独自のものである。

これを、訴訟代理人たる弁護士の立場からみれば、訴訟代理人たる弁護士は、訴訟において、単なる代理人以上に当事者に対して責任を負い、当事者とは別個独立した地位にもとづいて訴訟を追行するものである。すなわち、訴訟の場においては、裁判所及び相手方の訴訟手続の進行に協力すると共に、裁判所あるいは相手方に違法、不当な行為があれば、その違法を責問し是正を求める地位にあり、他方、依頼者たる当事者に対しては、訴訟の進行状況、手続の法律的意味などについて助言を与える他、時には、証拠の証明力等の判断から、訴訟提起を断念し、あるいは、和解による解決をはかるように説得する等の職責を負つている。これは、法律専門家たる弁護士の職責であつて、この判断を誤れば、場合によつては依頼者から損害賠償請求をされかねない緊張した立場に立つているのである。

(三) 別件手形訴訟事件においては、訴外小北は、明白な手続違背によつて、前記の三者間の関係を破壊したものであつて、それは、職業人としての訴訟代理人たる弁護士の地位に対する直接的な権利侵害というべきである。

(四) 弁護士は、その営業において、主として、自己の訴訟活動を通じて、自己の職業に対する信頼を得ていくものであつて、その訴訟活動の適否、効果の有無は、直接的に弁護士業務の成否にかかわつてくる。この弁護士の営業活動に裁判官の違法行為が介在した場合には、その損害は、直接的な損害として賠償されるべきである。

(五) 依頼者に対する説明について

一般に、弁護士は、事件依頼を受けた際、法律の専門家として、依頼を受けた訴訟問題について、その見通しや結果予測をなし、そのことを依頼者に説明すべき義務を負つている。そして、この見通し、結果予測を誤ることは、弁護士にとつて致命的なことである。その誤りが、自己の未熟さや法律の不知に起因するのであれば、その責任を追及されることは当然であるが、別件手形訴訟事件のように、裁判官の明らかな違法が原因である場合でも、弁護士はその判断の誤りを指摘され、その責任を追及されて、自己の評価、評判を落すことになる。

別件手形訴訟事件において、原告のなした説明は、同様の事件においては例外なく行われるであろう内容であつたにもかかわらず、訴外小北の違法な手続のため、原告の説明と異なる訴訟経過となり直ちに結審されて敗訴判決を受けたのであつて、このような場合、専門家としての弁護士の立場はまつたくなくなり、依頼者にどう説明、弁解してよいのか途方に暮れる程強いショックを受けた。

右の精神的打撃は、単なる反射的なものではなく、直接的なものである。

第三  証拠<省略>

理由

一本件における原告の請求は、裁判官の争訟の裁判の違法を理由に、訴訟代理人の蒙つた損害の賠償を求めるものであるので、最初に右のような請求の要件について考察する。

二争訟の裁判に、上訴等の訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき手続上あるいは実体上の瑕疵が存在したとしても、これによつて当然に国家賠償法一条一項にいう違法な公権力の行使があつたものとして国の損害賠償責任が生ずるものではなく、右争訟の裁判をした裁判官が、違法または不当な目的をもつて裁判をしたなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認めうるような特別の事情があることを必要とするものと解すべきである。なぜならば、第一に、民事訴訟法は上訴制度を設け、裁判に対する不服については、上級裁判所の判断を受けることによつてその是正の機会を与えると共に、確定した裁判には強制通用力を与え、再審によるほかは、その効果を覆すことができないとしており、裁判の瑕疵は、もっぱら上訴等の同一の訴訟手続内の不服申立方法によつてのみその是正を求めることができ、他の方法によつてその当否を争うことを原則として許さないものと解さなければならないからであり、第二に、本件のように争訟の裁判の違法性を理由とする損害賠償請求の場合には、裁判官が当該訴訟手続において行つた訴訟指揮の当否、そこでの法律解釈、事実認定の当否のみならず、裁判官の故意過失の存否も審理の対象とされて、裁判書において宣明されていない裁判官の内心における思考過程にまで立入つて審理をなし、裁判官個人に対する責任非難をも含む判決がなされることになるが、それは、裁判官がその職務の執行について他のいかなる国家機関からも干渉を受けないとする裁判官独立の原則と相容れないものがあると考えられるうえ、さらには、その背景にあるところの、裁判官に与えられた法律解釈及び事実認定という職務の特殊性、すなわち、事実認定にあつては、証拠価値の自由な評価と多様な経験則の適用というその純粋思惟作用性、法律解釈にあつては、それに客観的基準によつて唯一絶対のものはあり得ないという相対性等からしても、裁判官の具体的な裁判上の行為について、その当否を他の裁判官が公権的に判断することが妥当であるとは考えられないからである。

なお、右は、上訴制度の存在と矛盾するものではない。なぜならば、上訴制度は裁判の正確性を担保するための制度であつて、裁判制度自体における当然の制約というべきであるし、上訴審の裁判は、原裁判官の判断に対する非難を含むものではないからである。

これに対して、原告は、右「特別の事情」を要件とすべきでない、仮に要件とするにしても、それは「裁判官の事実認定ないしは法令の解釈適用が著しく合理的根拠を欠く場合」で足りると解すべきである旨主張するが、前示説示のとおり、「特別の事情」を要件とし、かつ、それをごく限定されたものと解するのが相当であるから、原告の右主張は採用できない。

三そこで、以上により、原告が違法原因として主張するところについて検討する。

1  原告は、訴外小北は、立証責任に関する法の解釈を誤り、別件係争裏書部分が真正に成立したとの心証を抱かないまま別件手形訴訟の弁論を終結し、裁判をした旨主張する。

原告の右主張は、その実質において、裁判官の法解釈の当否、事実認定の当否をいうものであると解されるところ、これらの点は上訴制度の目的の最も中心をなすものであり、したがつて、もつぱら上訴の方法によつて判断されることを本則とすると解すべきであるし、同時に、これらは裁判の根幹をなす最も重要な作用で、もつぱら裁判官の内心の思惟に委ねられていることがらであるから、別の訴訟手続において、裁判官の内心にまで立入つて審理することは可能な限り避けなければならないというべきである。

原告は、さらに、訴外小北は、手形訴訟の被告が手形の署名押印を争う場合には、ほとんど常にそれが虚偽であるとの予断偏見を有しており、そのため、別件係争裏書部分が真正に成立したとの心証なく判決をなしたものであり、これは、裁判官としての義務に著しく反しており、前記「特別の事情」に該当する旨主張する。

しかし、右主張は、実質的には、裁判官の経験則の当否、事実認定に至る心証形成の当否を攻撃するものにすぎず、単にそのことのみをもつて、「特別の事情」に該るということはできない。

よつて、原告の右各主張はいずれも理由がない。

2  次に、原告は、訴外小北の別件手形訴訟における訴訟手続には、別件原告代理人の通常手続への移行の申述を無視した違法がある旨主張する。

ところで、手形訴訟手続において、通常手続への移行の申述の手続がおかれた趣旨は、手形債権者が訴訟によつてその手形上の権利の実現をはかる際、手形訴訟手続によるか通常手続によるか、その自由な選択に委ねられているが、一旦、手形訴訟手続を選択したとしても、手形債権者たる原告において、自己に有利な手形訴訟手続の簡易迅速の利益を放棄して、通常手続による十分な訴訟追行を欲した場合には、それを許容したものと解されるところ、そもそも手形訴訟手続は手形債権者に極めて有利な手続であること、及び、通常手続への移行の効果を生ずるためには手形訴訟被告の同意が不要とされることからすれば、右申述がなされる場面としては、手形訴訟原告において、通常手続による手続の遅延、及び、証拠制限がないことにより手形訴訟被告から有効な抗弁の立証や反証をなされることなどの不利益よりも、自己の立証を十全ならしめる利益が勝ると判断した場合を予定したものといえる。

したがつて、右は、もつぱら手形訴訟原告の利益のために設けられたものというべく、たしかに、原告主張のとおり、通常手続への移行により、手形訴訟被告の立証にも有利になる面のあることは否定できないが、前記のとおり、手形訴訟被告が訴訟手続の選択においてはまつたく受動的立場にあることからすれば、手形訴訟被告の受ける利益は、手形訴訟原告が通常手続による利益を選択した結果、それに対応して手形訴訟被告も通常手続を利用することができるようになつたというにすぎず、手形訴訟被告にとつて、法律上保護された利益ということはできない。

よつて、前記の違法を理由として、別件手形訴訟の被告代理人であつた原告より、それによる損害の賠償を求めることはできないというべきであるから、原告の右主張も理由がない。

3  原告は、第三に、訴外小北が別件手形訴訟の弁論を再開しなかつたことが違法である旨主張する。

たしかに、弁論を再開して当事者にさらに攻撃防禦の方法を提出する機会を与えることが明らかに民事訴訟における手続的正義の要求するところであると認められるような特段の事情のある場合には、裁判所は一旦終結した弁論を再開すべきであり、再開せずに判決をなすことが違法とされる場合のありうることは原告主張のとおりである。

しかしながら、右の旨を判示する最高裁判所昭和五六年九月二四日第一小法廷判決(民集三五巻六号一〇八八頁)の事案を考慮すれば、右の違法が認められる「特段の事情」とは、事実審口頭弁論終結時以降に生じた当事者の攻撃妨禦方法として重要な事由について、再開を求める当事者の責に帰することのできない理由により、口頭弁論終結時までにこれを主張することができなかつた場合のように、ごく例外的な場合に限られるのであつて、本件のように、原告の口頭弁論終結時の主張を立証するための証拠方法を提出するために弁論の再開を求めるにすぎず、かつ、さらに事実審理を経る機会が残されている場合には、原告の申立に応じて弁論を再開するか否かは、通常の原則どおり、裁判所の裁量に委ねられているものといわなければならない。

よつて、原告の右主張も理由がない。

四なお、原告は、訴外小北の違法な訴訟手続により、訴訟代理人たる弁護士として固有の損害を蒙り、その損害は、手訴等の方法によつてそれ自体の回復をはかることはできないから、前記「特別の事情」の要件は、当事者本人が確定裁判の違法を主張して、それによる損害の賠償を求める場合に比べて、緩和されたものでなければならない旨主張する。

しかしながら、民事訴訟法は、弁護士強制主義を採用せず、弁護士には、訴訟において任意代理人となりうる資格を与えているに止まり、また、その訴訟上の地位も当事者本人または法定代理人の地位を超えるものではないことからすれば、弁護士が民事訴訟における重要な役割を担つており、その職業上の地位が保護されるべきものではあるけれども、少くとも、民事訴訟法が、当事者本人の訴訟上の地位以上に、あるいはそれと別個に、弁護士たる訴訟代理人の名誉、信用その他の固有の利益を保護しているとは到底いいえないところであるし、さらには、前記のとおり、「特別の事情」を要件とする趣旨が、裁判官の職権行使の独立性の要請をもその根拠のひとつとしていることからしても、当事者と区別して、弁護士たる訴訟代理人の損害に対する救済の要件を緩和する理由はないといわなければならない。

よつて原告の右主張も理由がない。

五結論

以上のとおりであつて、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西池季彦 裁判官新井慶有 裁判官松本清隆)

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